Diario

日々の暮らしのあれこれ帳

出会いから2年が経って

はじめに

夏です。今年も推しとの出会いを振り返る季節(?)がやってまいりました。

2年前、おうち時間で中学生以来のJ沼に浸かり、自粛期間が終われば自然と戻ってくるだろうと思っていたらあれよあれよと1年が経ち、推したちへの思いもどんどん深くなっていったのがあらすじです。詳細は過去記事にて。

今回は「2年経っての推し活近況」みたいなものを残していこうと思います。

 

 

1. スノFC加入した

ここ1年の変化と言えばこれ。

私の推し活ですが、20年「嵐を回顧しつつジュニアをつまみ食い(メインは侍)」→21年「侍とスノを中心に若手グループをつまみ食い」→22年「スノと侍を中心にスト728にも片足突っ込みながらトラHi美をチラ見する」という温度感で推移しています(どんどん節操無くなってない?)

年々私の脳内バッファを侵食していながら「いやまだ入るほどじゃ無いんだよな」と謎の意地で加入していなかったのですが、消え恋〜カウコン、ジャニフェス辺りが決定打となってようやく。
この間ツアーも発表されたし、入っていて良かった!(まだご用意されていませんよ?)

ちなみに母は朝ドラきっかけでストFCに入ろうとしているので、「私もスト入るからスノFCも入って名義増やそうよ…」と悪魔の誘いを持ちかけています。

情報局は二年前の8月に入って1回更新しているのですが、結構現場に満足してしまった節はあるので、継続するか悩み中。
侍ちゃんへの気持ちが低下したというよりはスノの比重が増した感じ。ジュニアは会えるがゆえに満たされるのも早かったのかもしれない。

2. 「芸術鑑賞」を下地とした「アイドル」+「将棋」+「スケート」の三沼体制を本格的に確立した

ソチ五輪フィギュアスケート沼にどっぷり浸かる」→「スケートきっかけでクラシック音楽・バレエ・オペラ・ミュージカル・美術館・映画辺りの芸術鑑賞全般にハマる」→「20年に試合や舞台が激減しお家にこもっていたところで中学生以来J沼再燃」→「なぜか見始めたAbemaTVでニワカ観る将に(ここが一番謎)」とはちゃめちゃな経緯を辿ってどんどん好きなものが増えていったわけですが、ここ1年で”好き”の採掘作業も落ち着きようやく安定期に入った気がします。

題にも書いた通り、私の"好き"のベースはやっぱり芸術鑑賞です。そんなことありえないですが、「趣味を一つしか持っちゃいけない」なんて言われたら選ぶのはここです。初対面の人に一つだけ趣味を紹介する時もここです。きっかけはスケートでしたが、もはやその橋を離れて単独で興味を持つようになりました。

「アイドル」+「将棋」+「スケート」はそのベースの上に三本柱のように乗っかっているイメージです。今の熱量は6:3:1くらいの比率。冬になったら5:3:2くらいになるかも。
一時期スケートは完全に離れるかと思ったのですが北京めちゃくちゃ熱中して見ていたからまだゼロじゃないんだよなぁ。思ったよりスケオタは完全に卒業とか出来ませんでした。

ちなみに将棋は棋戦が年中あるのもあってかジワジワと熱量が高まっています。今は毎週末のAbemaトーナメントが生きがいです(コメ欄の民度が最悪なのだけが悩み)。最近やっと駒の動かし方を覚えてぴよ将棋で遊び始めました。

3つ並べて気づいたのですが、「勝ち方(成功への道筋)が一つじゃない」「それぞれの個性が魅力的」「直接の対象以外にも楽しみポイントがある(アイドルだったら出演作品、将棋だったら会場とか食事、スケートだったら音楽・衣装)」「一般社会から隔てられた特殊な世界にいる」…など色々共通点は見い出せますね。
ここから逆に演繹的に次にハマりそうなことを導き出せたりしないだろうか(?)

まあそんなわけでスケート一筋だった中高生〜大学前半の時から随分多趣味になったわけですが、一つの沼に依存しなくなったことによって、執着の分散が出来て実に精神的に健康になった気がします。

以前だったら推しスケーターの引退・解散を随分引きずってダメージを受けていたのですが、趣味がいくつも出来たことによってある界隈でのネガティブな感情を他界隈のポジティブな内容でカバーできるようになりました。
結果としてそれぞれの界隈に対してゆるく長く健全にハマっていられるようになったと思うんですよね。

先日発表された羽生さんのプロ転向もそれはそれは穏やかな気持ちで見守れたものです(単に熱量が落ちたのもあるかもしれませんが)。多分高校生の時の私のままだったらか色々な感情が込み上げて勝手に押し潰されていたかもしれません。

”好き”が分散したことによって私はより穏やかな生活を送れるようになれたのです。

3. 「推したい時推したいように推す」ことに罪悪感を抱かなくなった

これだけ色々と趣味を広げている私ですが、「モノを増やさない」というルールはかなり徹底しています。推しであっても雑誌やグッズ(流石に現場で人権がなさすぎて侍ちゃんのネギペンラだけは買った)はおろか、今のところCDもレンタルしかしていません。(J事務所には一刻も早いサブスク完全解禁を願う)動画配信サービスやブログ会員も気分によって入ったり抜けたりしています。
推しの出演作品であっても私の嗜好とマッチしなさそうなものは観ませんし、逆に推し以外の出演作品でも面白そうなものは観ます。

「本当に好きと言えるのかしら?」と自分でも思うことはあるのですが、そもそも趣味の楽しみ方に正解はないなとも思っていて、今では自分なりの推し方でエンジョイしています。

先日読んだ「時間術大全」にも、「『いいときだけ』のファンになる」という記述がありましたが、この話は自分の中でもすごく腑に落ちたんですよね。自分の人生、推しの全ての情報を追う必要は無いかなと。
楽しめるときに楽しいとこだけ楽しんで、残りの時間はいざ何か他のことをしたくなったときの余力として残したいと思うようになったのです。

2つ目の話とも少し被りますが、好きな形で推しているととにかくメンタル面で気楽なんですよね。
2年前は新たな趣味が増える中でスケオタとしてのアイデンティティーと葛藤がありましたが、だいぶ軽くなりました。「〇〇が好きで詳しい自分が好き」ではなく、「今は〇〇が好き、それだけ」という状態になりました。

別に全てを追いかけなくていい。知らないことがあってもいい。知りたくなったら調べればいい。目の前のものをただ愛でて、幸せになる。そんな気楽なスタイルがあったことに気づいたのです。

4. 家族以外に推しをCO出来るようになった

これも大きかった。今までは芸術鑑賞以外の好きなものの話を家族以外にしていなかったのですが、最近は友人や恋人、会社の人にも言えるようになりました。

言えなかった理由としては「なんか恥ずかしい」「自分の好きなものを否定されるのが怖い」「そもそも公表するメリットが特にない」というところでした。今思えば、他人から見られる自分を過度に気にしていたんですよね。
あとは身の回りにそこまでオタクが多くないと思っていて、話しても特に面白くないだろうなと感じていたんです。
舞台鑑賞やスケートに関しては、かつて公表したら謎に批評されたり謎のマウントを取られたりしたことも若干トラウマになっていました。

それが、前職の人とふとしたタイミングでアイドル好き同士であることが判明し、立て続けに友人から「友達に〇〇(グループ名)を布教されたんだよね〜」とか「実は彼氏に将棋を教えてもらって〜」という話が上がり、カミングアウトしやすい環境がいくつも発生したのです。

それで伝えてみると、意外と人って誰かの好きに対して良い意味で無頓着なんですよね。どちらかというと「対象が何であれ、好きなものについて熱くなっている人を見るのが楽しい」という感情の方が起こります。

それで自分もいざ話してみると、人間が大の苦手()で超内向的な私でも推しについて誰かと共有できるのはとても楽しい!と感じられました。
もちろん、たまたま今回話せた人はみな幸い誰かの好きを肯定してくれる人ばかりだったのもありますが。
心から好きなものについて話して、受け入れてもらえることが本当に楽しいのだと気づけました。

誰彼構わず言うのは怖いのでこれからも控えますが、属性が近そうな人なら(この辺はHSP特有の嗅覚で嗅ぎ分ける自信があります笑)話してみよっかな〜という心境です。

総括

私は好きなものを好きなように推していていいんだ

結局過去2年間の心境の変化って自己受容の問題の克服だったんじゃないかなと思っています。

「何かが好きなら四六時中そのことを考えていなければいけない」
「最新情報は誰よりも早く手に入れて、誰よりも詳しくなければいけない」
「良い歳して〇〇にハマるなんて恥ずかしい」
「一度離れていったものに回帰したりするなんて都合が良い」
「調子の良い時だけ応援するなんて自分勝手」
「自分の好きなものは公表してはいけない(逆に公表しなければいけない)」

これらの謎の思い込みから、私は長い時間かけて少しずつ解放されていきました。何か強烈なきっかけがあったとかではなく、偶然が重なって気づいたら辿り着いていたのです。

”好きなものを好きなように推す”そんな自分をありのままに受け入れることで、断然生きやすさが増しましたし、自己肯定感も上がりました。

これからも好きなものは変わると思います。もしかしたら来年には全く違うものにハマっているかもしれないし、何か過去にハマったものに戻っているかもしれない。そもそもオタクとして温度感が下がっているかもしれないし、考えたくないですが推しを推すことすらままならない状況になっている可能性だってあります。

でも、先のことを考えても仕方ない。
今は目の前の”大好き”と向き合っていこう。
それが何であれ、自分の人生を少しでも彩れるなら。

後半はアイドルという括りを飛び抜けてしまいましたが、以上が侍との出会いを経て2年経った私の推し活の近況でした。
毎度のごとくポエムが過ぎて趣旨がブレブレですが、思考の記録として残しておきます。