Diario

日々の暮らしのあれこれ帳

人生初の骨折を経験して日常のありがたみを再確認した話

やってしまいました…

生まれてこの方ピッチピチの健康体を自認していた私が骨折です。 せっかくなので(?)記事として経過を残しておきます。

軽い捻挫だと思ったら…

とある在宅勤務の日、近所でお昼を食べた後コンビニに寄る途中、入り口の段差に気づかず右足を挫きました。あると思っていた地面がない恐怖。雨で傘に気を取られていたのも大きいかもしれません。「ウ゛ッ」と声が出てその場で固まる程度には痛かった記憶です。

でもこういうしょうもないグキり方は頻繁にやっていたので(ドジ)、まあ歩いているうちに痛みも治まるだろうと楽観していました。とりあえず負傷直後も歩ける状態ではあったので、少し引きずりつつも帰宅しました。が、その後患部が腫れて熱感もあり安静時でも痛みが増していったのでこれはやばい、診てもらった方が良いかもしれないと整形外科へ。

触ってもらってもどこが痛いのかあまりはっきりしないのに、体重はかけられないという謎。レントゲンを撮ってもらうも状態の判断がはっきりせず、さらに翌日脳神経外科MRIを撮りにいくことに。ちょっとしたうっかり怪我のつもりがどんどん事態が大きくなっていく…

精密検査の結果は…

MRIなるものに人生で初めて入ったのですが(足だけ)、事前に何も予習をしなかったので思いの外時間が長いのと響き渡る音に耐えるのがまあまあ辛かったです。一応音を抑えるためにオルゴールの鳴るヘッドホンをつけてくれるのですが、爆音のオルゴールと機械の音が混ざり合って最高に気持ち悪かったのでヘッドホンはノイズキャンセリングのものをお願いしたいとつくづく思いました。もう入りたくない。しかも保険適用でもめちゃくちゃ高い。貯金がみるみる減っていったので健康って最高の節約だったんだなと感じました。

そんなこんなで撮ってもらったMRI画像を整形外科で診てもらうと「距骨骨折・三角靭帯損傷」と判明。足を外側に捻ったことにより、内側の靭帯が伸ばされてしまい中の骨にも負荷がかかった結果ヒビが入っていたようです。

足の捻挫というと大半は内反捻挫と言って足を内側にひねるものだそう。外側にひねるのは構造上難しく、サッカーやバスケなどのスポーツが原因となって起こることが多いらしいです。なんでそんなマイナーな挫き方をするんだ?器用なのか?器用ならこんな怪我していないが? 外科の先生に足の模型を使った説明を受けたのですが「こう捻ったんですかねぇ…」などと私のしょうもない怪我の原因を模型をこねくり回しながら考察してもらった時には本当に恥ずかしかったです。

お医者さんには1ヶ月ほど体重をかけない方が良いと言われ、あれよあれよと松葉杖が用意され、足にはシーネが装着されていきました(話はそれますがシーネとギプスの区別をここで知りました)。

松葉杖が全てを解決して…くれなかった

先述の通り私は大怪我無縁の健康体だったので当然松葉杖を使ったこともなく、看護師さんに付き添ってもらいながら練習が始まったのですが、なんか思っていたのと違いました。子供の頃怪我をしたクラスの男子だったり、街中で松葉杖を使っている人だったり、ドラマの中の病院に出てくる人はみんなヒョイヒョイ動いていた印象だったので見よう見まねで使えると思ったのですがこれが難しい。

杖の上部を脇で支えて身体を浮かすものだと思っていたらそうではなく、あくまで手を置く部分と腕・肩の力で踏ん張って身体を支えるものだったっぽいです。足腰の力はそこそこあるのに対して上半身・体幹部の筋力が絶望的にない私にはこれが大ダメージ。数歩歩くだけで疲れてしまい翌日には筋肉痛になりました。

起きては欲しくないですが、怪我をしたとしても他の筋肉でカバーできた方が楽に過ごせるので日頃から全身バランスよく鍛えておいた方が良いなと痛感しました。

それでも日常を送らねばならぬ

さて、無事診断も出て療養生活が始まったわけですが、ここで考えなくてはいけない問題がいくつかありました。

まず第一に仕事です。これは幸いにも事情関係なくリモート可能な職場かつPCがあればできる業務だったのでそのまま続けられました(もちろん怪我の報告はしましたが)。フレックスでもあったので通院の時間も柔軟に設定できて助かりました。ただオフラインのイベントや社内の懇親会などはキャンセルしました。

第二に、習い事のダンスの発表会。体重をかけちゃいけない期間内に思いっきり本番が被っていて絶望的だったので出演自体を申し出ました。本番まであと数週間というところでいよいよ追い込んでいくタイミングだったので先生にも申し訳ない気持ちがありつつ、歩行に不可欠な部位の怪我なので無理に踊り続けて一生モノの後遺症が残っては元も子もないと思い苦渋の判断でした。ただ、ここ数ヶ月はあまり踊ることそのものを楽しめない自分がいたことにも気づいていたので、「今は休んだ方が良いかもね」と神様に言われているような気がして悔しさはさほど感じませんでした。

第三にプライベートの用事。友人との遊びの予定は一切入れておらず無問題。陰キャで良かった。月末に資生堂のメイクレッスンの予約が取れていたのですが、仮に現地まで行けても正直肝心のレッスンの内容に集中できない気がしたので泣く泣くキャンセル。来月行こうと思っていた金沢一人旅の予定は延期。そのほか週末はほとんどダンスのレッスン予定で埋まっていたので影響なし。

…が、怪我した日の週末の某舞台だけは絶対見たかったのである。取っていたのが最上階の席だったので、エレベーターでギリ行けても杖の置き場をどうしようかと困っていたのですが、劇場に問い合わせたところ車いすスペースの空き席があるので振り替えてもらえることになり無事鑑賞。正直めちゃくちゃ眺めが良くて、こんな状態になっていなければ見られなかった光景なので申し訳なさを全力で感じていました。早く治して通常席でまた来ようと思いました。劇場関係者の方、ありがとうございました。

あとは食事とか図書館とかメルカリの発送とかちょっとした日常の移動ですが、これは大いに家族に助けてもらいました。来年の一人暮らしを検討している最中ですが、この時ばかりは実家暮らしで良かったなと感じました。頼れる人のほとんどいない遠方で一人だったら相当に参っていましたね、多分。治ったらお詫びと感謝で家中の掃除します。

歩けないことで思わぬ影響も

安静時痛も2,3日で引き、体重をかけなければ全く痛くない状態になったのでとりあえず日常生活は送れるぞと思ったのですが、思わぬ困りごとはまだ残っていました。それが「気分転換の手段ほとんどない問題」と「あらゆることへの気力喪失問題」です。

基本的に一日の大半をベッドか部屋の椅子の上で過ごしているので、頭が煮詰まる感覚が来るのが早いです(特に仕事をしていると)。あいにくちょうど業務が忙しくなっているタイミングで通院などに時間を取られてしまったので精神的余裕がなくとても辛かったです。普段だったら「あ〜ちょっと疲れたな」と思ったタイミングでちょっと飲み物を換えにいったり、軽く運動したり散歩をしたりピアノを弾いたりとできたのですが、それがほとんど出来なくなってしまって、気持ちの切り替えが難しくなってしまいました(ピアノに関してはせめて怪我したのが左足であったらなぁ…)。

読書とか動画鑑賞とか他の手段が取れないことはないですが、やはり見える景色が変わったり体を動かしたりするのには勝てないのとすぐ飽きちゃうのとで続きません。そうなるともう横になって目を閉じて頭を休めるくらいしかできないです。うーん無力。このストレスと関係あるかは分かりませんが骨折して以降生理も止まってしまいました。

杖をついてでも外出するという選択肢もあるのかもしれませんが、ちょっとした段差や整備されていない道がトラップになったり、駅のエレベーターの位置を予習していかなくてはいけなかったり、周りの気を遣うような視線に耐えなくてはいけなかったりと個人的には家にいる時以上に心が不自由する感覚になり出来ませんでした。

そして悲しいのは、別に足を動かす必要のない事柄についてもやる気がダダ下がってしまったこと。せっかくお家に引きこもるのだから、こんな今こそ資格勉強やイラストの創作活動を進めようと最初は思ったのですが、「自由に動ける状態であえて留まることを選ぶ」のと「それ以外に選びようがなくて留まらざるをえない」のとでは全然気分が違うというか、とにかく日常を送るための基本的なパワーが枯渇していて、食べて働いて寝るのがやっとの状態です。やりたいことが何も思い浮かばない。やる気は起きないのに時間だけが余るのが辛いです。

話は少々飛躍しますが、入院中に創作活動に打ち込んだりした人がたまに紹介されますが、不自由な状態であれだけクリエイティブなエネルギーが沸くって本当にすごいことだなぁと思います。 そんなこんなで、このブログ記事に起こすエネルギーを貯めるまでにも数週間かかってしまいました。やれやれ。

現状について

これを書いている今も療養中で、今後は経過を見て固定を外したのち徐々に荷重を増やしていってリハビリをする予定です。多分。

正直もう歩きたくて、外に出たくて仕方がないです。大切なものは失って初めて気づくとよく言いますが、まさにそれを実感しています。当たり前に歩けて、当たり前に行きたいところに行ける日常がどれだけ大切なことなのかを痛いほどに感じる出来事でした。

昨年の同時期には転職活動中に人生初の食中毒を経験し、もうあれほど大変な時期はそうそう来ないだろうと思っていたのですが、それに並ぶか上回るくらい大変な日々になってしまいました。何事も慢心は禁物ということで、この出来事も何かのメッセージだと受け取って治った後も目の前のもの・こと(比喩として、そして物理的にも…)に向き合って生きていこうと思ったのでした。